2017年4月10日 決算行政監視委員会 道徳の教科書検定について

決算分科会提出資料① 教科書検定小学校道徳科道徳修正表 東京書籍1年生
決算分科会提出資料② 教科書検定小学校道徳科道徳修正表 学研教育みらい1年生
決算分科会提出資料③ 教科書検定小学校道徳科道徳修正表 学研教育みらい1年生
決算分科会提出資料④ 教科書検定小学校道徳科道徳修正表 教育出版2年生
決算分科会提出資料⑤ 教科書検定小学校道徳科道徳修正表 光村図書5年生

4月10日の衆院決算行政監視委員会分科会では、道徳教科化によりはじめての「道徳」の教科書検定についてとりあげました。
今回の教科書検定では、パン屋を和菓子屋に修正したら検定に合格、公園のアスレチックをこととしゃみせんの店にしたら合格。パン屋さんからは、「パン屋では郷土愛」を学べないのかという批判の声があがっています。文部科学省は、どう直せという内容までは指示していないといいますが、パン屋なら不合格、和菓子屋なら合格にしたという事実に変わりはありません。文科省が和菓子屋なら郷土愛や文化や伝統が学べるが、パン屋なら学べないという、特定の価値観をこどもに教える道徳にもちこんでいるということになります。
こうした問題を直接おこした原因は、道徳の教科化にあります。教科にすれば、教科書をつくることになります。教科書をつくれば、いまの教科書検定制度でいえば、学習指導要領で国がしめす徳目を国しめす内容ですべてもりこまなければならなくなります。そして、これは国の求める内容が入っている、入っていない、ということを文科省が文科省の「価値観」で指摘することになります。そして、教科書会社の側は政権が求める、愛国、郷土愛、伝統、文化とはなんだろうと忖度していくことになったのだと思います。
結論から言えば、道徳教科化をやめるべきです。そして、学校生活全体の中で、人権を大切にする市民道徳をみにつけられるようにしていくことが大事です。決算委員会でもそのことを指摘しました。
教育出版2年生の教科書では、教科書検定による修正後に、生徒らが国歌斉唱している写真とともに「国歌がながれたら、みんなでいっしょに歌います」と書かれました。これでは、道徳で全員歌うという指導がおこなわれることになります。在日韓国人や宗教上の理由で歌いたくない人もいますが、教科書には、歌わない自由があることや内心の自由についての記載がありません。私は、この教科書検定は、国旗・国歌法の審議(1999年)における「義務付けはしない」「無理強いは内心の自由にかかわる」との国会答弁に反すると迫りました。松野文科大臣は「国歌斉唱を強制しているものではない」と答弁しましたが、修正後の記述にはどこにも強制していないことがわかる記述はありません。
そもそも、内心の自由は憲法で保障されたもっとも大事な人権です。憲法よりも学習指導要領を上においた教科書検定といわなければなりません。
そもそも、学習指導用要領にの道徳の項には人権という言葉もありません。権利という言葉が一箇所だけ学習指導要領にありますが、それは「規則の尊重」という項目の中で、義務とセットででてきます。
道徳教育の中でもっとも柱にすえるべき人権がこういう扱いだというところに、政権の考え方があらわれているといわざるをえません。道徳と称して、時の政権の価値観をこどもたちにおしえこんていってはなりません。

≪2017年4月10日 第193回衆院決算行政監視委員会第2文科会第1号議事録≫

○石関主査  次に、宮本徹君。
○宮本(徹)分科員 日本共産党の宮本徹です。まず、道徳の教科書の検定問題についてお伺いしたいと思います。道徳が教科化されて初めての教科書検定の結果が発表されました。検定のあり方についていろいろな疑問の声が上がっているのは御存じのとおりだと思います。東京書籍の一年生向けの教科書では、パン屋さんが和菓子屋さんに書きかえられたことで検定に合格をいたしました。全国のパン屋さんが怒っているわけですね。報道では、全日本パン協同組合連合会の西川会長は、郷土愛を伝えるのにパンはふさわしくないと言われたようで悔しいと。日本パン工業会の中峯専務理事は、小学生の女の子に将来なりたい職業を聞くとケーキ屋やパン屋は上位に入る、そんな子供の気持ちをどう考えるのでしょう、こう報道されているわけですが、大臣はこうした批判の声をどう受けとめられているでしょうか。
○松野国務大臣 御指摘の件は、パン屋に代表される、申請図書の具体の写真や記述そのものに不適切なところがあったという検定意見ではありません。学習指導要領で定められた内容は、教科書全体で取り扱うことが必要とされているところです。小学校学習指導要領の「道徳」では、「第一学年及び第二学年」で、「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」として、「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつこと。」が定められており、その扱いが十分でなかったことから、教科用図書検定審議会における専門的な審議の結果、図書の内容全体に対して検定意見が付されたものであります。今回の検定意見がパン屋に関する記述について付したものではないことについて誤解が生じないよう、正確な情報発信に努めてまいりたいと考えております。
○宮本(徹)分科員 全体に意見をつけたということを言いますが、結果としては、パン屋のときは不合格だった、和菓子屋に書きかえたら合格した、これは動かしがたい事実なわけですね。先ほど、学習指導要領の中身が入っているか、伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度と言われましたが、どうしてこれがパン屋では学べずに和菓子屋になったら学べるのか。大臣、どうなんですか。
○松野国務大臣 検定意見に従って、申請図書について、学習指導要領を踏まえどのように修正するかにつきましては、申請図書の発行者の判断に委ねられているところであります。小学校学習指導要領の「道徳」では、先ほど申し上げましたとおり、第一学年、第二学年で、伝統、文化の尊重、国や郷土を愛する態度として、「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつこと。」と定められており、検定意見では、図書の内容全体でこの要素を満たすことが求められたことに対応して、発行者が修正した記述では、「まちのことや、はじめてみたきれいなわがしのことを、もっとしりたいとおもいました。」という記述でありますとか、あなたの住む町や国の好きなところはどんなところですかなどの、我が国や郷土の文化と生活の要素となる記述が追加されるなど、修正全体について、学習指導要領に定められた内容を満たすとして審議会において許容されたところであります。
○宮本(徹)分科員 今の説明を聞いても全くわからないんですね。なぜ、現状では、パン屋の話では郷土を愛する態度や伝統や文化を学べないのか。郷土のために役立っていますね、パン屋さんは。私の住んでいる町でも、学童クラブのおやつをつくったりだとかいろいろなことをやっていますよ。町の中で欠かせない役割を果たしていますよ。結局、パン屋さんだと役割を果たしていないということで、特定の価値観を押しつけることになっているんじゃないですか。だから私は皆さんが怒っているというふうに思いますよ。伝統というお話をされますけれども、和菓子屋は伝統がある、パン屋は伝統がないのか。パン屋は幕末に入ってきましたね。後できょうは銃剣道のこともお話ししますけれども、銃剣道で武道の伝統を学ぶといっても、銃剣道が始まったのは昭和三十一年ですよ。パン屋の方がよほど期間からいえば伝統があるという話じゃないですか。パン屋でも伝統を学べるんじゃないですか。
○松野国務大臣 お答えをいたします。パン屋が和菓子屋になったから許容されたということではなく、発行者による修正全体が学習指導要領に定められた要素を満たすとして審議会において許容されたところです。検定は、個々具体の記述に応じて審議会において判断されるものですが、パン屋に関する記述が問題となったわけではありませんので、発行者において、パン屋に関する記述を残しつつ、我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つことに関する要素を図書全体の中で取り入れる修正もあり得たのではないかと考えております。なお、検定意見に従って、学習指導要領を踏まえ、どのように修正するのかは、申請図書の発行者の判断に委ねられておりますので、逆に、和菓子屋の設定に置きかわったからといって、学習指導要領に定められた要素が満たされているのに修正として認められないということも適切ではないのかと考えております。
○宮本(徹)分科員 だから、よくわからないんですよ、何度も言いますけれども。この文章でも十分、私は、町のことを大好きだな、伝統のことだって感じられるというふうに思いますよ。それを変えさせるということをやったわけですよね。そこに価値観が入ってきているんじゃないかということを言っているわけであります。結局、政権の意向をそんたくして、これが政権の考える伝統の尊重あるいは国や郷土を愛する態度なんだろうということで、調査官の皆さんや審議会の皆さんがそんたくして、合格、不合格、こういうふうにしたということにしか思えないですよ。大臣、なぜ教科書会社はパン屋を和菓子屋に書きかえたんだと思いますか。
○松野国務大臣 先ほど申し上げましたとおり、検定の指導に関しては、全体の中において、規定されている内容が十分に記述されているかどうかということに関して付したものでありますから、どういう観点で申請者がその記述を書いたのか、また変えたのか、修正したのか、こういったことに関しては、文部科学省がそれぞれの具体の案件に関して答える立場にはございません。
○宮本(徹)分科員 この教科書で出したということは、これで十分教科書検定は通るだろう、これで郷土愛は学べるだろうということで教科書会社はもともとの文章を出されていたということだと思うんですね。それがだめだというふうになったら、一体、政権の考えている伝統って何だろう、文化って何だろう、愛国心だとか郷土を愛する態度って何だろうと一生懸命そんたくして書きかえるということになっていったんだと思うんですよね。これだけじゃないですよね。資料をお配りしておりますけれども、資料の二、三、これは学研教育みらい、一年生用の教科書ですが、これも、「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」について、学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切とされた部分です。このページの趣旨は、「かんがえよう あなたの町のどんなところがすきですか。」とあります。修正前は、子供目線で、自分たちが遊ぶアスレチックや土手の話が出てくるわけですね。それが修正後は、アスレチックは琴と三味線の店になって、これは弾いてみたいなという話。それから、土手の話は、たこ揚げを楽しそうにやっているという話になっているわけですね。だから、事前の文章は、修正前は子供たち自身が楽しくやっているという体験が出ていたのが、今度は、見たという、子供たち自身の体験じゃない話になっているわけですよね。これは、修正前と修正後の文章を見たら、私自身は、修正前の方がこの町が好きだなというのがよく伝わる文章だと思いますが、大臣自身は、修正前の文章と修正後の文章を比べて、何か感想を持たれましたか。
○藤原政府参考人 お答え申し上げます。委員御指摘の申請図書についてでございますが、小学校学習指導要領の「道徳」第一学年、第二学年で、「国や郷土を愛する態度」の内容項目の中で、我が国や郷土の文化と生活に親しみ愛情を持つことと定められておりまして、その扱いが十分でなかったということから、教科書検定審議会の専門的な審議の結果、図書の内容全体に対して検定意見が付されたものでございます。修正の前後で、どちらが町の好きなところを表現できている文章になっているかという個々の要素ではございません。具体的に、アスレチックとかあるいは和楽器店、あるいは土手、さらにはたこ揚げ、こういった個々の要素ではなくて、その修正全体について、検定審議会において学習指導要領の内容を踏まえた記述であるかどうかについて判断をしたというところでございます。
○宮本(徹)分科員 これは大臣もぜひ読み比べていただきたいと思います。私は、百人に聞いたら、九十九人以上が修正前の方が町のどこが好きかというのが伝わる文章になっているのは間違いないというふうに思いますよ。だって、畑の話だとかいろいろ話がその前の文章に共通してあるわけですから、別に伝統なんて、琴と三味線を出さなくても、畑の話をすれば、東京だって、畑があるところというのは四百年続く江戸時代からの農家とか、伝統あるところばかりですよ。結局、ここでも、特定の、これなら伝統が学べるだろう、これなら愛国心が育つだろう、これなら郷土愛が育めるだろう、特定の価値観を、これを文科省が多分政権の意向をそんたくして検定していったんじゃないかというふうに思います。私、これだけ批判が今回の道徳の教科書検定に上がっているのは、結局、今度の教科書検定が、国が特定の価値観を押しつけるものになっているからだと思いますよ。そうお考えになりませんか。
○藤原政府参考人 お答え申し上げます。我が国の教科書検定制度につきましては、民間の発行者の創意工夫を生かした多様な教科書が発行されることを期待しているものでございます。また、学習指導要領に定められた内容が適切に扱われているかなどの観点から、教科書検定審議会において専門的な審査が行われておりまして、審議会の審査を受けてどのような記述をするかは、申請者の判断に委ねられているところでございます。今回申請がありました八社それぞれが、問題解決的な学習に資するよう、創意工夫を凝らした多様な教科書を発行し、地域や学校のニーズに応じた教科書を採択することが可能となることから、国が特定の価値観を押しつけているものになっているとの御指摘は当たらないと考えております。
○宮本(徹)分科員 そういう全く無反省な姿勢、特定の価値観を押しつけていることに無自覚な姿勢、それを改めないというのは、本当に私は恐ろしいことだと思いますよ。なぜここまで、パン屋の業界の皆さんはこれから文科省に抗議するというような話も報道では流れておりますけれども、本当に道徳というものをこういう形で特定の価値観を押しつける、教科書を押しつけていくというやり方は、とんでもない話だと思います。さらに聞きたいと思いますが、資料の四、これは教育出版の二年生向けの教科書でございます。「国旗や国歌を大切にする気もちのあらわし方」、これは文章も写真も変えられました。驚いたのは、新しい文章では、「国歌がながれたら、みんなでいっしょに歌います。」と書かれています。そして写真も、みんなで歌っている写真にかわりました。在日コリアンの人だとか、あるいは宗教上の理由で歌いたくない人もいるわけですよね。だからこそ、かつて、一九九九年、国旗・国歌法の審議の際に、政府自身が、子供たちに歌うことは義務づけは行わない、無理強いして斉唱させれば内心の自由にかかわるんだ、こう繰り返し答弁してきたわけですよね。大臣、道徳教科書で、国歌が流れたらみんなで一緒に歌います、こう教え込むのは、国旗・国歌法の審議の際の国会答弁に反するのは明確じゃないですか。
○松野国務大臣 御指摘の申請図書においては、「国旗や国歌を大切にする気もちのあらわし方」という表題にもかかわらず、本文では、国旗についてのみ触れられ、国歌についての記述が一切なかったため、表題と本文が相互に矛盾をしているという趣旨の指摘がなされたところであります。申請者による修正として、「国歌がながれたら、みんなでいっしょに歌います。」と国歌を大切にする気持ちのあらわし方が追記されたことから、教科書用図書検定調査審議会の専門的な審議において、記述の欠陥は解消されたと判断されたところです。また、追記された記述は、国歌の斉唱を強制しているものではありませんので、国会答弁に反するものではないと考えております。
○宮本(徹)分科員 これが強制しているものではないというのはどうやったら言えるかといいますと、あわせて、国歌を歌いたくない人は歌わなくてもいい、内心の自由があるんですと書いたら、それは強制しているものではないというふうに言えますよ。しかし、歌わない自由があることも、内心の自由を守らなければならないということも、どこにもこの教科書には書いていないわけですよ。このまま見たら、国歌が流れたらみんなで一緒に歌いますということになるじゃないですか。そう思われませんか、大臣。
○松野国務大臣 指導における基本となる学習指導要領の中で、「特別活動」において、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」ことが規定されておりますが、これはもう先生も御承知のとおり、教師に対してこういった指導が義務づけられているということでございます。これは、生徒児童に関して国歌をまさに強制的に歌わせるということでは全くありません。今回の教科書検定においての記述に対しても、これも国歌の斉唱を強制しているものではありませんので、繰り返しになりますけれども、国会答弁に反するものではないと考えております。
○宮本(徹)分科員 だから、本来だったら、ここにちゃんと、歌わない自由があります、内心の自由は守らなきゃなりません、こういうことを書かなきゃいけないんじゃないんですか。これだけ読んだら、歌いますということを教え込む道徳教育になっていくわけですよ。国会答弁に反する道徳教育になっていくわけですよ。結局、憲法の大原則よりも学習指導要領を上に置いた教科書検定になっているということなんじゃないんですか。どうしてこれは、こういうことを書いてきたら、内心の自由を守る、この大事さをここにも書かなきゃだめだという指導は検定ではしなかったんですか。
○藤原政府参考人 お答え申し上げます。日本国憲法の精神にのっとり教育基本法が定められておりまして、その教育基本法を踏まえて学校教育法がございます。その学校教育法の委任を受けて文部科学大臣が学習指導要領を定めている、こういう仕組みでございます。教科書検定につきましては、教育基本法に示す教育の目標や、学校教育法及び学習指導要領に示す目標を達成するために実施されているものでございまして、日本国憲法を初めとした法体系のもとで適切に実施されているものと考えております。
○宮本(徹)分科員 だから、それを適切に実施するためには、道徳の教科書にこんなことだけ書いたら適切にならないんじゃないですかという指摘をしているわけですよ。歌わない自由もありますと。憲法上の権利の方が上なわけですよ、学習指導要領よりも。そうでしょう。憲法と学習指導要領、どっちが上ですか。当然、憲法ですよ。これだと憲法に背く内容になっちゃっているわけですよ。そのことの自覚を持たないと大変だと思いますよ。さらに聞きたいと思います。資料の五です。これは光村図書出版、五年生向けの教科書。ここは、検定意見では、学習指導要領の「規則の尊重」の項目が示す内容に照らして扱いが不適切とあります。直した方の文章を見ますと、こういう文章が書いているんですね。みんなが権利ばかりを主張していたら、どんな世の中になってしまうかな、みんなが気持ちよく過ごせるように義務があるんだよ、君が義務だと思うことにはどんなことがあるかな、こういう文章に変わっているわけですね。権利を主張することを抑制しなさいと言っている中身になっているんですね。これは、もとの教科書自体の文章も私は読みましたが、お客様という文章ですね。これはどういう文章かといいますと、遊園地のショーを見に行ったら、たくさんの人が集まっていて見えなくなったから、ある方がお子さんを肩車に乗せて見せようとした。そうしたら、遊園地の係員の方が、肩車しないのが決まりです、他のお客さんに迷惑だと注意した。肩車した方は、お金を払ったんだから納得できない、こういう話なわけですよね。私は、この話でもし権利義務ということを言ったら、遊園地のショーを見るためにお金を払うという義務を果たしたんだから、当然、払った人には見る権利がある。遊園地の側が、ショーを見えるように工夫をしなきゃいけないという話になると思うんですよね、お子さんの席と大人の席を分けるだとか、ショーの舞台を高くするだとか。遊園地の側が、お金をもらったんだから、民法上の信義則に基づいて対応しなきゃいけないという話だというふうに思いますが、何か、これで何を教えようとしているのかというのも私自身はよくわからないですけれども、問題なのは、こういう文章で、みんなが権利ばかりを主張していたら、どんな世の中になってしまうかな、みんなが気持ちよく過ごせるように義務があるんだ、権利を主張することを抑制しなさいというのは、私は本当におかしいと思いますよ。民法上の契約の考え方からしても、あるいは憲法の人権の考え方からしても、権利を主張することを抑制しなさい、こういうことを道徳で教え込むというのは極めて問題だと思いますが、大臣、いかがですか。
○藤原政府参考人 お答え申し上げます。御指摘の申請図書につきましては、小学校学習指導要領「道徳」の「第五学年及び第六学年」の「規則の尊重」の内容項目の中の「自他の権利を大切にし、義務を果たすこと。」この部分の取り扱いが十分でなかったことから、図書の内容全体に対しまして検定意見が付されたものでございます。申請者の修正といたしまして、お客様の教材の部分の中の問いの「「権利」と「義務」という言葉の意味を知っているかな。」と修正をしたり、あるいは、「みんなが自分の「権利」ばかりを主張していたら、どんな世の中になってしまうかな。みんなが気持ちよく過ごせるように、「義務」があるんだよ。」「どんなことがあるかな。」などと追記がされております。この修正によりまして「自他の権利を大切にし、義務を果たすこと。」の内容の扱いが適切になったということから、教科書検定審議会の審議の結果、記述の欠陥が解消されたと判断されたところでございます。あわせて、この修正においては、権利というものが何なのかを子供に考えさせる発問も追加されるなどの工夫がされておりますので、委員の御指摘は当たらないと考えております。
○宮本(徹)分科員 この発問と答えの中で、「「権利」ばかりを主張していたら、どんな世の中になってしまうかな。」これは誰がどう読んだって、権利ばかり主張しちゃいけないと言っているわけじゃないですか。権利というのは、生まれながらに、人権でいえば全ての人が持っているわけですよ。これを主張することを国の側があたかも問題があるようなことをするというのは、全く問題ですよ。それを道徳の教科書に書き込んで平然としている。余りにもおかしいんじゃないですか。そもそも、学習指導要領で、私は今回見せていただきましたけれども、「道徳」のこれで見るといろいろな項目が並んでいますけれども、そもそも項目の中に人権というのもないんですよね。そして、権利というのは、義務とセットで「規則の尊重」の中に入っているんですよ。権利とか人権というものを「規則の尊重」の中に押し込めちゃう、こういう扱い方自体が根本的に間違っているんじゃないかと思いますが、いかがですか。
○藤原政府参考人 お答え申し上げます。教育基本法や学校教育法などに基づいて行われる学校教育におきましては、基本的人権の尊重の理解は、道徳のみならず、社会科や特別活動など、学校教育活動全体を通じて指導がなされているところでございます。その中でも、道徳におきましては、基本的人権のほか、生命の尊重や人格の尊重、思いやりの心などの根底を貫く人間尊重の精神のもと、例えば、「規則の尊重」の内容項目におきましては、「集団や社会との関わり」の観点から、「法やきまりの意義を理解した上で進んでそれらを守り、自他の権利を大切にし、義務を果たすこと。」が指導されております。このほか、「道徳」では、「親切、思いやり」「相互理解、寛容」「公正、公平、社会正義」「生命の尊さ」など、さまざまな内容項目におきまして、それぞれの観点から基本的人権の尊重を多角的、多面的に理解できるように位置づけていることから、特に人権の項目を設けていることはないというところでございます。
○宮本(徹)分科員 言葉として権利というのが出てくるのは、この「規則の尊重」の中だけなんですね、学習指導要領は。それはよく御存じのことだというふうに思います。そういう形で、人権だとか権利というのは身についていかないですよ。しかも、私、本当に、「みんなが自分の「権利」ばかりを主張していたら、どんな世の中になってしまうかな。」と、こんな教え方を、権利について道徳ということで押し込んでいったら、子供たちが、権利という言葉を嫌いになっていきますよ。一番大事な人権教育ができなくなる。憲法の上に学習指導要領を置いて、文科省の定めた徳目を教え込んでいくというのは、全く逆立ちしているというふうに思います。今ちょっといろいろな今回の教科書検定の内容を見てまいりましたけれども、郷土愛を学ぶのに、なぜパン屋では不合格で、和菓子屋さんになったら合格になるのか。なぜこんな教科書になったのか。私は、根本の原因をたどると、道徳を教科化したことに大きな問題があると思っています。教科にするためには、今回のように教科書をつくらなければいけなくなる。教科書をつくれば、今の検定制度のもとでは、学習指導要領で国が示した徳目全項目を文脈と関係なく全部押し込まなければならなくなる。そして、その結果、多くの国民が批判するような特定の価値観を押しつけるような教科書ができ上がったんじゃないかというふうに思います。大臣、今回、こういう形で、パン屋さん初め多くの方が批判の声を上げていますが、特定の価値観を押しつける教科書、こういう形になったのは、道徳教科化の帰結なんじゃないですか。
○松野国務大臣 お答えをいたします。道徳の教科化に当たり、平成二十六年十月の中央教育審議会答申「道徳に係る教育課程の改善等について」においては、「民間発行者の創意工夫を生かすとともに、バランスのとれた多様な教科書を認めるという基本的な観点に立ち、教科書検定の具体化に取り組む必要がある。」とされております。今回の検定は、中教審の答申を踏まえ、学習指導要領に示す内容項目等に照らして適切かどうか等の観点から、教科書用図書検定基準に基づき実施したものであり、八社多様な教科書が発行され、地域や学校のニーズに応じた教科書の採択が可能になったところであります。したがって、国が特定の価値観を押しつけるとの御指摘は当たらないものと考えております。
○宮本(徹)分科員 同じ答弁ばかり繰り返されるわけですけれども、創意工夫を生かすどころか、創意工夫が押し潰されたというのが今回の教科書検定だと思います。先ほど中教審のことを述べられましたけれども、二〇一四年の中教審の答申の中で、特定の価値観を押しつけることは、「道徳教育が目指す方向の対極にある」というふうに言われていたわけですね。まさに対極の結果になった教科書だと言わざるを得ないと思います。この問題で最後に一問だけ聞いておきます。道徳の教科書の位置づけです。道徳の授業では、実際に学校の中で起きるいろいろな問題についても生徒が考える機会を設けるということもあると思うんですが、毎時間道徳の教科書というのを使わなきゃいけないものなんですか。
○藤原政府参考人 お答え申し上げます。学校教育法の第三十四条によりまして、各学校におきましては教科書を使用しなければならないとされており、各学校における授業においては、教科書を主たる教材として使用することが求められております。一方で、平成二十六年十月の中央教育審議会の答申にもありますとおり、道徳の授業においては、教科書だけではなく、多様な教材が活用されることが重要であり、教科書とともに地域に根差した地域教材等を使用しながら、道徳教育の充実を図っていくことが望まれるものと考えております。
○宮本(徹)分科員 つまり、毎時間使わなくていいということですね、この教科書を。
○藤原政府参考人 お答え申し上げます。委員御指摘のとおり、教科書を使用したかどうかという問題につきましては年間を通じた授業全体の中で判断されるべきでございまして、個々の授業を見ていく際に、ある特定の授業で教科書を使用しなかったといっても、直ちに教科書使用義務違反になるわけではございません。
○宮本(徹)分科員 毎時間使わなくてもいいということは確認しておきたいと思います。私たち、道徳というのは非常に大事なものだろうと思っていますけれども、それをやはり特定の価値観を国が教え込むというやり方でやるのは全く間違っているということを重ねて申し上げて、次に、銃剣道の問題についてお伺いしたいというふうに思います。新しい学習指導要領で、中学生の「武道」に新たに銃剣道が明記され、大きな波紋を呼んでおります。まず、なぜ銃剣道が明記されたのかという経過についてお伺いしていきたいと思うんですが、案の段階では明記されていなかった、パブリックコメントを受けて明記されることになった。一方、同じようにフットサルについてもパブリックコメントでは明記を求める声がありましたが、フットサルは明記されませんでした。まず初めに、学校での実施状況を伺いたいと思います。柔道、剣道、相撲以外の武道それぞれ及びフットサルについて、実施校というのは、現在、四十七都道府県中、何都道府県にあるのか教えていただけるでしょうか。
○田野瀬大臣政務官 お答え申し上げます。武道につきまして、平成二十七年度に全国の中学校における実施状況を調査させていただいたところでございます。その結果、御質問ございました実施都道府県数につきましては、弓道は二十一、空手道は三十五、合気道は二十、少林寺拳法は十六、なぎなたは二十八、銃剣道は一となっております。以上です。
○宮本(徹)分科員 フットサルはどうですか。
○田野瀬大臣政務官 済みません、失礼いたしました。フットサルにつきましては、これはサッカーというものの、ゴール競技というものに含まれておるということで、実施状況については今現在では調べておるわけではないということでございます。
○宮本(徹)分科員 実施状況は調べていないということですが、フットサルは恐らく多くのところでもやっているんじゃないかというふうに思いますが、今、武道の中での実施状況を聞いただけでも、銃剣道とそれ以外の武道との実施状況の差は相当大きくあるわけですよね。パブリックコメントで、一方で、フットサル明記の声、銃剣道明記の声がありながら、フットサルは明記されずに銃剣道は明記された、この違いはどこから来たんですか。
○田野瀬大臣政務官 お答え申し上げます。次期小中学校学習指導要領におきましては、ボール運動や球技のゴール型の例としてサッカーというものが示されております。 フットサルというのはサッカーに含まれているため、学習指導要領レベルでは明記はいたしておりませんが、今後、次期の解説におきましては、パブリックコメント等の御意見も踏まえさせていただきまして、サッカーにはフットサルも含まれることを明記する方向で検討することとさせていただいております。一方、銃剣道を含めた武道九種目につきましては、サッカーとフットサルとの関係とはちょっと異なりまして、それぞれが独自の特性を有するものであることから、平成二十八年十二月二十一日付の中教審答申を踏まえた、武道の内容の弾力化を一層図るに当たってパブリックコメントの意見等を踏まえさせていただきまして、銃剣道を含めた九種目を記述することといたしました。以上です。
○宮本(徹)分科員 いや、サッカーとフットサルは競技としては違う競技ですよね、大臣も御存じのとおり。フットサル、コートの大きさも全く違いますし。それはゴールに入れるという点では同じかもわかりませんが、競技としては全く違いますよ。なぜフットサルが入らなくて銃剣道が入ったのか、今の説明では全くわからないですね。しかも、そういう説明でいえば、武道といえば銃剣道だって入るわけで、今までだってそういう対応をしてきたからこそ一校で実施されているという状況があると思うんですよね。しかも、フットサルの競技人口は、二百万人とも三百七十万人とも、いろいろな形で言われていますが物すごく多いわけですよ。一方、銃剣道は三万人程度。これを考えても、なぜフットサルが明記されなかったのか、摩訶摩訶不思議なんですね。パブリックコメント以外の、今述べられたようなもの以外の理由があるんじゃないかと思います。田野瀬政務官にお伺いしますが、政務官は、三月九日に参議院の外交防衛委員会で、佐藤議員から、なぜ銃剣道を明記しないのかとやりとりされて、質問にお答えになっていらっしゃいましたが、あの後、銃剣道について、学習指導要領の記載をめぐって政務三役と話したり、あるいは直接担当者に働きかけたりだとかされましたか。
○田野瀬大臣政務官 担当者と説明があったかということでございますけれども、内部の部局におきまして、私が答弁させていただいたことに対して、今後どうするか、しっかりとパブリックコメントをとって、状況を一回調べていきましょう、そういう打ち合わせはさせていただいたことを記憶しております。
○宮本(徹)分科員 大臣にもちょっと一点お伺いしたいんです。自民党の佐藤議員の三月十五日のブログを見たんですけれども、見出しは「銃剣道を学習指導要領に」と書いてありました。それで、こういうことが書いてあるんですね。本日は、義家文科副大臣にアポイントがとれたので、事情を説明に行ってきました、大臣の最終的な判断に資するよう、引き続き文科省の政務三役、大臣、副大臣、大臣政務官にも説明に行きたいと思いますというふうにブログに書かれていたんですが、大臣は、この銃剣道の問題で、佐藤議員や、あるいは義家副大臣、あるいは政務官から、この件で直接説明を受けたことというのはあるんでしょうか。
○松野国務大臣 佐藤先生がこの件で私に直接的な説明、要請等があったと記憶をしておりません。
○宮本(徹)分科員 では、義家副大臣や他の政務官、ほかの副大臣、政務官の方から、この件で直接説明を受けたことはありますか。
○松野国務大臣 この学習指導要領の中における武道の扱い方、これを決定していく過程においては、当然、文部科学省内において議論があるのは言うまでもないことでございます。その中において、今回銃剣道が加わったというのは、学習指導要領をつくり上げていく中においては、規定された手続として国民の声を聞くパブリックコメントを実施しなければいけないということはもう先生御案内のとおりでありますが、その中においても、武道としての銃剣道をこの九種目の中に加えていただきたいという要望が多くあった等々も含め、総合的に勘案する中で、今回、銃剣道を明記させていただいたということでございます。
○宮本(徹)分科員 パブコメでそういう意見が多くあったということですが、大臣、副大臣、政務官などが、銃剣道を学習指導要領に明記することについて何らかの指示を出したというのは一切ないということですか。
○松野国務大臣 指示を出したというのが、先生、どういうことを、方向をお考えになって表現されているか、済みません、わかりませんが、これは最終的に大臣決定でございますので、大臣が判断し決定をするというのは当然のことでございます。
○宮本(徹)分科員 最終的に大臣が決定されたという話ですけれども、大臣はパブコメだけを見て判断しているんですか。それとも、銃剣道連盟の関係の政治家の皆さん、あるいは副大臣、政務官、いろいろな方とこの銃剣道の問題について直接話し合ったりしたんですか。
○松野国務大臣 先ほど申し上げましたとおり、これは最終的には大臣決定でございますが、個々の方向性を決定するに当たって文部科学省内で議論をするのは当然のことであります。銃剣道を明記したことに関しては、パブリックコメントということも国民の声として十分踏まえさせていただきましたし、もとより銃剣道は解説の項目には記載されておりますし、実際にこの銃剣道を学校現場で採択することは学校長の判断によりなされるのは従前から変わらないことであります。また、銃剣道は国体種目でもあります。そういったことを総合的に勘案して今回の決断だった、判断したということでございます。
○宮本(徹)分科員 その判断に当たって、先ほど、文科省内で議論をするのは当然と言われましたが、副大臣、政務官レベルでの話し合いというのは銃剣道については何らかあったんですか。
○松野国務大臣 私が直接この銃剣道に関して議論したということに関して、副大臣や政務官にその議論に加わっていただいたかどうか、今ちょっと記憶がございません。 当然のことながら、これは三役として個々の御意見を、私がいろいろと議論をした文科省職員と副大臣、政務官の間であったかどうか、あっても当然であろうというふうに思いますし、私が直接議論をしたのは、担当課の職員がパブリックコメントの状況について私に説明する等を通しての議論があったということでございます。
○宮本(徹)分科員 副大臣、政務官と議論した記憶はないけれども、あっても当然のことだろうというお話でしたけれども、パブリックコメントにたくさん投稿しようという運動は、自民党の佐藤議員のブログの中に、取り組んでいると載っていましたよ。パブリックコメントにたくさん投稿があれば、実施状況が四十七都道府県でわずか一県一校の銃剣道は学習指導要領に明記され、そしてフットサルは何百万人も競技人口がいるのに明記されないということになっているわけですよ。これは余りにもおかしいと私は言わざるを得ないですよ。政治と教育の関係として極めて問題だと指摘しておきたいと思います。もう一点、安全性についてお伺いしたいというふうに思います。先日、銃剣道協会でお話を伺ってきましたが、中学校三年生になれば、最終段階では試合も行うカリキュラムを検討されているというお話でした。私も木銃というのを持ってみましたけれども、大変かたい、カシの木でできております。そして、先日、銃剣道の有段者の男性、元自衛官の方ですが、共産党の青森の事務所に電話がありました。こういう中身です。お互いに相手を突くのが銃剣道、相手の心臓の部分を突くと一本となる、防具はつけているが、衝撃は相当なものだ、こう言って、練習中に心臓を突かれ死亡者が出るなど重大事故を危惧している、自衛官だった仲間もこれを学校で教えるのは危険だと言っている、やめさせてほしい、こういう電話だったそうです。でも、銃剣道の競技者の九割は自衛隊関係者というふうに聞いておりますが、きょう、防衛省にも来ていただきました。自衛隊の体育訓練の中で銃剣道は位置づけられているわけですが、自衛隊発足以来、銃剣道による死亡者は何人でしょうか。また、昨年度一年間で銃剣道の訓練による負傷者というのはどれぐらい出ているんでしょうか。
○鈴木政府参考人 お答えします。銃剣道による死亡者につきましては、直近十年で調べた結果、公務上の災害と認定された件数はゼロ件です。また、昨年度一年間で自衛隊員が銃剣道訓練において負傷し、公務上の災害と認定された件数は五十九件、うち、陸上自衛隊五十八件、航空自衛隊一件でございます。
○宮本(徹)分科員 十年間で死亡事故ゼロ件ということですが、それ以前はどうですか。
○鈴木政府参考人 公務上の災害の資料が、調べた結果、十年分のみ保管されておりましたので、とりあえず十年分について御報告申し上げました。
○宮本(徹)分科員 ほかの資料で、十年以上さかのぼれる資料はあるんでしょうか。
○鈴木政府参考人 全て網羅的にまだ調べておりませんので、もし御要望があれば調べさせていただきたいと思います。
○宮本(徹)分科員 要望があれば調べていただけるということですので、ぜひ調べていただきたいというふうに思います。経験者の方から死亡事故の懸念が寄せられているということは、そういう実態があるんだろうということと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。あともう一点、防衛省にお伺いしたいのは、昨年度、どんなけがが起きているのか、内訳だとか、詳しく教えていただけるでしょうか。
○鈴木政府参考人 昨年度におきまして、銃剣道訓練において負傷し、公務上の災害と認定された災害の内訳でございますが、一、足、膝をひねって転倒したことによる半月板、靭帯損傷、二、木銃が手足に当たることによる骨折、三、木銃で突く動作で急激に足を踏み込んだことによるアキレス腱損傷、四、木銃が手足に当たったり、転倒したりしたことによる打撲などが挙げられます。
○宮本(徹)分科員 木銃は大変かたいものなので、竹刀よりもかたいですから、骨折、打撲ということで、防具がついていないところに当たったらそういうけがを負うということだと思います。ネット上の経験者の声を見ていますと、中学生に銃剣道をやらすのか、打突部位を外したときは竹刀より木銃の方が痛いんだよ、割とガチで痛い、息とまるレベル。あるいは、銃剣道をやっていたけれども、衝撃が強い上に面の下から銃剣が首に入ることがあって怖かった、本当にやめたくてやめたくて仕方がなかった。あるいは、銃剣道経験者として思うのは、中学生で銃剣道をやらない方がけがをしないだけよいと思う。こういう声が幾つも出てくるわけです。剣道では中学生は突きは禁止されておりますが、銃剣道ではこれは禁止されているんでしょうか。
○田野瀬大臣政務官 お答え申し上げます。剣道におきまして、突きわざは、喉の部分に当たる突き垂れを突くものでございます。しかし、小学生及び中学生の突きわざは、安全を考慮し、各競技大会等の申し合わせ事項により、原則禁止とさせていただいているところでございます。それを踏まえて、現行の中学校学習指導要領解説保健体育編でも、「中学校では「突き技」を扱わないこと」といたしております。これは剣道です。一方、銃剣道は突きわざのみで成立する競技であるため、各競技大会では禁止はされてはおりませんが、全日本銃剣道連盟が作成した中学校での授業のモデルカリキュラムでは、型を重視した指導が中心であり、喉への突きは教えないことといたしております。また、日本武道協議会が今後全教育委員会や全中学校等に配付する予定であります中学校武道必修化の充実に向けた指導書銃剣道では、第一学年及び第二学年においては型のみとし、第三学年におきましても、防具が準備できた場合に限り胸突きのみの簡単な試合を行う程度といたしておるところでございます。
○宮本(徹)分科員 喉については教えないということですけれども、私も銃剣道協会にお話を伺ってまいりましたけれども、禁止はしていないんですよね、禁止は。それははっきりしているというふうに思います。そして、学習指導要領の「武道」の項を見ますと、段階的な指導を行うなど安全を十分に確保することということでありますが、文科省として銃剣道についていかなる知見を持っていて、安全を十分に確保できているという点についてはどう担保されているんでしょうか。
○田野瀬大臣政務官 お答え申し上げます。まずは、第一義的に銃剣道を履修させるかどうかというその判断は、各学校が判断することとなります。その上で、銃剣道を履修させる場合は、学習段階や個人差を踏まえ段階的な指導を行うなど、安全を十分に確保することとされております。また、指導上の安全を確保するため、全日本銃剣道連盟を含む各種目の統括団体は、指導者養成研修、モデルカリキュラムの開発、指導の手引やDVDの作成等に取り組んでおるところでございます。文部科学省といたしましても、銃剣道を含む武道の安全かつ円滑な実施のため、武道等指導充実・資質向上支援事業等を通じまして教員の資質向上や支援体制の強化に努めてまいりたいと思います。
○宮本(徹)分科員 例えば、柔道でいえば、文科省自身が指導の手引をつくっていますよね。それは文科省の責任においてつくっているわけですよ。銃剣道について、今協会の取り組みのお話はありましたけれども、文科省自身の知見というのはあるんですか。
○田野瀬大臣政務官 ありがとうございます。お答え申し上げさせていただきます。現行の中学校学習指導要領解説保健体育編では、選択種目である柔道、剣道、相撲の技能について詳細に説明をさせていただいているところでございます。一方、学校や地域の実態に応じて履修できる、なぎなたなどのその他の武道につきましては、「基本動作や基本となる技を身に付けさせるとともに、形を取り入れるなどの工夫をし、効果的、継続的な学習ができるようにすることが大切である。」と説明をさせていただいているところでございます。次期中学校学習指導要領解説も基本的に現行の解説を踏まえる予定といたしておるため、銃剣道についても基本動作やわざの習得、型の指導が中心に行われることとなります。以上でございます。
○宮本(徹)分科員 ですから、私がお伺いしたのは、文科省は柔道については、やはりいろいろな柔道事故もあって、指導の手引を何回も改正してきた、こういうことは危険だということも含めて、文科省自身の知見を示しているわけですよ。銃剣道については文科省自身の知見はないんじゃないですかということをお伺いしているんです。
○田野瀬大臣政務官 御指摘のように、柔道、剣道、相撲の部分は、しっかりとした解説、詳細に説明させていただいておるところでございますが、その他の、銃剣道に限ったわけじゃないんですけれども、例えばなぎなたであったり少林寺とか、そのあたりは実は解説が今のところないというところでございます。なので、文部科学省といたしましては、前の前の質問の答弁でもさせていただきましたとおりに、各種種目を統括している団体であるとか、そのあたりの連盟等々と協力をいたしまして、指導の手引であったりDVDの作成等にしっかりと支援と、そして強化に努めてまいりたい、そのように考えております。
○宮本(徹)分科員 私は、文科省自身が知見を持っていないというのは極めて重大だと思いますよ。そういう中で、学習指導要領に明記していく。こういう、自衛隊でもこれだけ骨折を初めとした事故が出ている、経験者からは死亡事故の心配の声も上がっている、そういう中で、文科省自身は知見がない。このまま突っ込んでいくというのは極めて無責任だと言わざるを得ないというふうに思います。それから、あと、懸念の声は安全性だけではありません。銃剣道は国体の競技にもなっているスポーツである一方で、戦前の軍事教練を連想する、あるいは現実の戦闘訓練を連想するということで、子供たちにやらせたくないという声も、この間、報道で少なくなく出ているのは大臣も御存じのとおりだと思います。学校現場でどういう武道を行うかは、父母や子供たちの声をしっかり踏まえて決めていくべきだと考えますが、大臣、どうでしょう。
○松野国務大臣 武道のどの種目を履修させるかどうかについては、各学校長が適切に判断することとなっております。
○宮本(徹)分科員 その際、父母や子供たちの声もしっかり踏まえるというのが大事だと思いますが、その点については、大臣、どうでしょう。
○松野国務大臣 各学校長が適切に判断するに当たって、どのような条件、また御意見をどういった方法で聴取をする、またそれをどう判断に利用するのかに関して、それも含めて各学校長が適切に判断をするということでございます。
○宮本(徹)分科員 その際に、やはり父母や子供の声というのは当然、学校ですから、大事にしなきゃいけないと思いますが、そうは思われませんか。
○松野国務大臣 当然のことながら、学校運営に関して、学校長が進めるに当たっては、父母の方々やPTAの方、さまざまな地域の方々の御意見もあるかと思いますが、最終的にどういった判断基準によってどの種目を履修されるかというのは各学校長の判断によるものだということでございます。
○宮本(徹)分科員 教育への権利というのは子供の権利であって、それを第一義的に応援するのは親なんですよね。ですから、子供の学習権というところを考えたら、何を学ぶのかというのは子供と父母の意見が優先されるべきだということを申し述べまして、最後、時間は少ないですが、教育勅語の問題についてお伺いします。先週もお伺いしました。一九四八年の衆参両院で教育勅語の排除決議あるいは失効確認の決議が行われました。この決議を受けて、森戸大臣が所見を述べられているわけですね。「敗戦後の日本は、国民教育の指導理念として民主主義と平和主義とを高く掲げましたが、同時に、これと矛盾せる教育勅語その他の詔勅に対しましては、教育上の指導原理たる性格を否定してきた」と。また、こう言っています。「教育勅語は、教育上の指導原理としては、法制上はもちろん、行政上にも、思想上にも、その効力を喪失」したと、教育上の指導原理を否定されているわけですが、とても大事な指摘だと思いますが、この点は大臣も同じ認識だということでよろしいですね。
○松野国務大臣 教育勅語は、日本国憲法及び教育基本法の制定等をもって法制上の効力が喪失をしております。
○宮本(徹)分科員 指導原理として扱うことはふさわしくないということでよろしいわけですね。
○松野国務大臣 教育勅語を教育の唯一の根本原理として使うことは許されないということでございます。
○宮本(徹)分科員 唯一の根本原理と指導原理と、どういう関係にあるのかというのも含めて確認したいんですが、午前も議論になっていました、教育勅語を指導原理の一つに据えて毎朝朝礼で朗唱する、朗読する、これは、先ほどの大臣の答弁との関係では問題がある行為だと思いますが、大臣はどう思われますか。教育勅語を指導原理の一つに据えて毎朝朝礼で朗読する、問題があると思いますが、いかがでしょう。
○松野国務大臣 教育勅語を指導原理とするということは適切でないと思いますが、しかし、それが適切であるかどうかという判断は、さまざまな、総合的な判断の上において行われるものでありますから、教育現場を所轄する長また主管する長が判断するものということでございます。
○宮本(徹)分科員 教育勅語を指導原理に据えることは適切でないという答弁がありましたが、当然、指導原理に据えて唱和することも適切でない、論理的にはそうなるということだと思いますが、それは間違いないですよね。指導原理に据えて教育勅語を毎朝朝礼で唱和する、問題だと思いますが。論理的にそうなりますよね、先ほどの大臣の答弁から。
○松野国務大臣 先ほど私がお答えをしましたのは、指導原理とする、また唯一の教育の根本とする、こういった扱いは適切でないということでございます。ですので、それがどういった形でということまで言及したものではございません。
○宮本(徹)分科員 指導原理として扱ったら、後は形としてあらわれるしかないと思うんですね。どういう教え方をするのか、指導原理としてどう道徳教育の現場でやるのか、朝の唱和でやるのか。いずれにしても、指導原理にすることが適切でなかったら、そのあらわれ方も適切でないということになるんじゃないですか。
○松野国務大臣 先ほど私が申し上げたことは、もちろん指導原理として教育勅語が扱われるということに関しては適切でないということであります。申しわけございません、先生の御質問の趣旨が、指導原理とすることと唱和をすることの関係がちょっと私が聞き取れなかったものですから、先ほどそうやって申し上げた次第であります。
○宮本(徹)分科員 いや、この間問題になってきた森友学園の塚本幼稚園は、方針はこの四月から改められたというのは先週私紹介いたしましたけれども、その方針を改める、新年度になるまでは指導原理に据えて毎朝唱和していたわけじゃないですか。文字どおり指導原理ということですよね。ですから、指導原理に据えて毎朝唱和するというのは、これは当然問題だということになると思うんですけれども。
○松野国務大臣 先ほど申し上げましたとおり、指導原理として取り扱うということは一般論として問題であると思いますが、先生おっしゃったところの特定の幼稚園、大阪府の所轄にある幼稚園のお名前を挙げられましたが、その幼稚園における行為が適切か不適切かに関しては、所轄庁である大阪府が判断をするということでございます。
○宮本(徹)分科員 第一義的に大阪府が判断するにしても、指導原理として据えることによって、いろいろなところで教育で持ち込まれるのは問題だということだと思うんですね。私は、道徳教育も同じだと思うんですね。一部の方が徳目を一部だけ取り出して、ここはいいところだとかというふうに述べられる方もいますけれども、道徳教育で教育勅語をその形で用いるというのは、これを指導原理にしているということになりますから、道徳教育で指導原理として用いるというのは間違いなんじゃないですか。
○松野国務大臣 道徳に限らず、教育勅語を学校の唯一の根源とする、また指導原理として用いるということは適切でないということでございます。
○宮本(徹)分科員 時間になりましたので、これで質問を終わりますけれども、とにかく、教育勅語は、大臣よく御存じのとおり、なんじ臣民何々すべしという、徹頭徹尾、国民に対しての命令形で書かれております。だからこそ、国民主権に反するということで、これを排除する決議も衆議院も上げているわけであります。ですから、これをあたかも一部でも活用できるかのような形で指導原理として使うことは絶対あってはならないということを申し上げまして、質問を終わります。
○石関主査 これにて宮本徹君の質疑は終了いたしました。