2018年4月3日 衆院財務金融委員会 埋め戻したゴミか検証を 森友問題宮本徹氏が追及

日本共産党の宮本徹議員は3日の衆院財務金融委員会で、学校法人「森友学園」への国有地売却問題を質問しました。「新たに深いところから埋設物が見つかったとの報告を(2016年)3月11日に受けた」とする佐川宣寿前理財局長の答弁について、宮本氏は、その時点で森友学園側が「埋め戻したゴミ」と指摘しているにもかかわらず、事実を隠すため「初めから、深いところから見つかった」と答弁してきたのではないかと追及。財務省の太田充理財局長は、その時点で「そこまでわかっていなかったはずだと言われれば、そういうことだ」と謝罪しました。
今年に入って開示された森友疑惑に関する財務省近畿財務局の法律相談文書では、くい掘削過程で出てきた生活ゴミについて、森友学園側が当初、国の指示で埋め戻したゴミだと主張していたことが記載されています。
宮本氏は「生活ゴミが、埋め戻したゴミなのか、深いところの新たなゴミなのかは議論の核心中の核心だ」と指摘。「生活ゴミは、埋め戻したゴミではないかと言う観点でまっさらな状態から検証すべきだ」とただしました。太田理財局長は「(生活ゴミが新たなゴミだとする)これまでの主張が決定的に違うという材料があるとは思えない」として、検証する考えはないとの姿勢を崩しませんでした。

以上2018年4月8日付赤旗日刊紙より抜粋

≪2018年4月3日 第196回財務金融委員会第11号 議事録≫

○小里委員長 次に、宮本徹君。
○宮本(徹)委員 日本共産党の宮本徹です。森友問題について質問いたします。証人喚問を受けての世論調査が発表になりました。安倍首相からの指示がなかった、佐川氏の説明に納得できず、読売でいえば七五%。安倍昭恵夫人、招致すべきだ、六〇%。安倍首相の責任は大きい、六四%。そして、麻生大臣は辞任すべき、五一%。いずれも読売ですけれども、この世論調査、麻生大臣はどう受けとめていらっしゃいますか。
○麻生国務大臣 世論調査のコメントをすることはありませんので。
○宮本(徹)委員 国民の過半数の方が麻生大臣辞任すべきというのは、やはり麻生大臣の監督責任を重く見ているということだと思いますので、そこはしっかり受けとめていただきたいというふうに思います。そして、太田局長、先週金曜日からの続きを議論させていただきたいと思います。先週は、佐川さんの、昨年の二月、三月ごろの国会答弁について、事実を確認せずに答弁していたこと、あるいは、決裁文書と異なる答弁をしていた、あるいは、法律相談文書と異なる答弁をしていた、こういうことを踏まえて、初めから全部、答弁、検証が必要だというお話をさせていただきました。とりわけ、くい掘削過程から出てきた生活ごみというのが、もともとあったごみを埋め戻したごみなのか、それとも深いところから出てきた新しいごみなのかと。これが、もう一年前からの、一番この問題の議論になってきた点の一つです。ことしになって国会に出された法律相談文書では、森友学園側の主張は、このごみは、生活ごみは、国の指示で埋め戻したごみだということが、はっきり森友学園側の主張として近畿財務局がまとめて記していたわけですよね。ところが、昨年の佐川さんの答弁は、これは先週紹介しましたけれども、こうだったわけですね。「森友学園から、今委員がおっしゃった、最初の埋設物とは別に、新たに深いところから埋設物が見つかりましたという報告を三月十一日に受けたところでございます。」こう答弁されていた。これは法律相談文書と違ったわけですが、この昨年二月二十一日の答弁、これをつくった部署というのはどこなんでしょうか。
○太田政府参考人 お答えを申し上げます。今の御下問は、昨年の二月二十一日の佐川前局長の答弁について、作成した部署はどこかということでございますので、理財局の国有財産業務課に国有財産審理室というのがございます。そこが答弁そのものを作成する責任の担当課室であったということでございます。
○宮本(徹)委員 国有財産審理室がつくったと。国有財産審理室の室長は、当時、田村さんということでよろしいですね。
○太田政府参考人 当時の室長は、委員がおっしゃった田村という者でございます。
○宮本(徹)委員 それで、田村さんは、もうちょっと長い期間、国有財産審理室の室長をやっています。昨年答弁をつくった時点だけじゃなくて、二〇一六年三月十五日に、三月十一日にごみが出てきた、三月十五日に籠池さんが財務省本省にやってきたときにも、このときにお会いしているのが田村さんということで間違いないですよね。
○太田政府参考人 お答えします。平成二十八年の三月十五日に籠池夫妻が財務省にお見えになって、そのときにお話のお相手をさせていただいたのが、当時の田村国有財産審理室長ということで、それはそのとおりでございます。
○宮本(徹)委員 それで、この際の音声データというのは、いろいろな音声データが国会で議論になりましたが、一番初めに明るみに出た音声データだったわけですね。それは、財務省でも、佐川さんがまだ理財局長をされていたときに確認していただいたと思いますが。その三月十五日に、田村さんの声も入っているわけですが、何のお話をされたかというと、籠池さんから九月四日の打合せ記録を渡されて、出てきたごみは国が指示を出して埋め戻したごみだ、これがいっぱい出てきたんだ、こういう話をされているというのが音声データではっきり記録されているわけですが、そのことは太田理財局長も確認されていますよね。
○太田政府参考人 三月十五日の音声データと言われているものは、いろいろ御指摘があって、私も、聞き取りにくい面があることは委員も御承知だと思いますが、聞かせていただいています。相当長いものではありますけれども、その中で、先方の籠池理事長が、その前の年の九月の四日でしょうか、のペーパーというのを見せながら、要すれば、国側の指示で埋め戻したんだというような主張をされておられるということは、今委員からお話がありましたが、基本的にそういうことを先方が話をされているというのは、私もテープを聞いて承知をしております。
○宮本(徹)委員 そうすると、田村さんは、九月四日のペーパーを見せられて、籠池さんから、このごみは国の指示で埋め戻されたごみだというふうにじかに聞いていたわけですよ。ところが、その田村さんがつくった答弁ペーパーでは、国の指示で埋め戻したごみだというペーパーではなくて、初めに読み上げましたけれども、「森友学園から、」「最初の埋設物とは別に、新たに深いところから埋設物が見つかりましたという報告を三月十一日に受けたところでございます。」と。こういうペーパーを書くというのは大変おかしいと私は思うんですが、太田理財局長もおかしいと思いませんか。
○太田政府参考人 お答えを申し上げます。今委員が御指摘のあった、籠池夫妻が来られて田村室長と会ったというのは、平成二十八年の三月十五日でございます。一方で、今委員が最初に御質問があったその質問というのは、翌年の平成二十九年の二月の時点の話でございます。一年ほど時間があいているということでございますし、それと、昨年の二月の時点の国会答弁というのは、もちろん、当時答弁の作成責任者であった田村室長は、一年ぐらい前の三月十五日に話を聞いていることはもちろん事実ですが、その国会の御質問に対して、それまで近畿財務局として本件について整理をしていた、それを承知をしておったものをもとにして基本的に答弁をつくっているということだと思いますので。確かに一年ぐらい前の時点で籠池理事長夫妻がそういうことを主張されておられたのは事実ではありますけれども、その後、籠池理事長というか先方側もその主張だけを繰り返されているわけではなくて、最終的には、三メートル下の地下の深いところから新たなごみがあるということを前提にした議論で最終的にでき上がっているものですから、その最終的なでき上がりの方を前提にして田村当時の室長のところでそういう答弁書をつくっているということ自体は、委員の御主張はわかりますけれども、それはそれで近畿財務局なり財務省としての認識としてつくっていたという意味で、そんなにおかしいことではないのではないかと私は思ってお聞きをしておるんですが。
○宮本(徹)委員 その答弁はおかしいでしょう。だって、三月十一日に、一番初めにごみが出てきたときですよね、二〇一六年三月十一日というのは。そこのときの主張は何なのかというのは、もうそれこそ田村室長が戸惑うぐらい、本省でわんわんわんわん籠池夫妻から言われたわけじゃないですか、ペーパーを示されて。それを忘れてしまって、その後の主張を三月十一日の主張として書き込むというのは、およそ説明としては成り立たないと思いますが、聡明な太田理財局長がそういう答弁をされるというのは私は全く納得できません。
○太田政府参考人 お答えを申し上げます。委員の御指摘はわかりました。要すれば、去年の答弁において、三月十一日に新たな深いところからということを言ったというのがおかしいのではないかという委員の御指摘だと思います。その部分は、私も委員のおっしゃっている御主張はよく理解できます。要すれば、三月十一日は一番最初に連絡があった時点で、その時点で少なくとも籠池理事長夫妻はそんな細かいところまで御存じなかったことは間違いないわけですから、そうでなければ三月十五日のはそういう会話にはならないわけですから。そういう意味で、三月十一日の時点で、新たなとか、あるいは深いところからというまでの認識はなかったはずだ、だから、そういう意味での連絡はなかったんじゃないかという御主張だろうと思いますし、そういうことを答弁で言っているのはおかしいじゃないかという御指摘だと思います。先日の議論というか御質問にもお答えを申し上げましたが、今委員がおっしゃっていることは、我々としてもそう思っています。ただ、昨年の二月の十五日に初めて質問があって、その一週間弱後の二月二十一日の時点で、こちら側も勉強が不十分で、少なくとも田村室長はわかっていたはずじゃないかという委員の御指摘はわかりますけれども、局内全体として当時の佐川局長以下全員がそこまで、最初に籠池理事長夫妻がそういうことをおっしゃっていたところまで十分認識が行き渡っていなかった可能性は高いと、正直に言って思っています。一方で、質問をされる先生方、委員の方々も、まだそこまでは行き着いていなくて、その後、いろいろな委員からいろいろな資料も示され、御指摘がある中で、三月十一日から、最終的に判断するのがいつかという議論はあるんですが、国交省が八・二億円の積算を、たしかでき上がったのは四月の半ばぐらいだったと思いますけれども、それまでの過程においてということで、ではいつだったのかという議論を、少なくとも私がこのポストに来させていただいてからも随分議論を尽くされましたので。そういう意味で深まっていると思いますが、その二月の二十一日時点で、室長の田村がどこまでわかっていたかという問題はもちろんあると思いますが、全体としてまだ我々として、当時の財務省理財局としてそこまで十分認識が至っていなくて、最終結論としては、新たな深いところにあるんだという結論の、最初からそういう連絡があったというふうに今は答弁している。それは、今から見れば、委員がおっしゃるように適切でなかった、そこまでわかっていなかったはずだと言われれば、それはそういうことだというふうに、おわびを含めて申し上げます。
○宮本(徹)委員 佐川さんの勉強がだとか、理財局全体の勉強が至っていなかったという話をされるわけですけれども、しかし、田村室長は知っていたわけですよ、当事者からお話をじかに聞いていて。その方がつくった答弁ペーパーで答弁されていたということなわけでしょう。それに基づいて勉強していたというのがこの間の佐川さんの証人喚問でのお話だったということになるわけですよね。ですから、私が一番初めから、これは埋め戻したごみだということを、もともとある三メートルまでのごみであるにもかかわらず、その事実を隠すために、初めから、深いところからごみが見つかったという報告が森友学園の側から来たんだというふうなペーパーをつくったんじゃないか。国会と国民をだますために、目先の根拠をつくるため、初めからそういう思いでつくられた答弁じゃないかというふうに言わざるを得ないというふうに思います。先ほど、田村室長は知っていたというお話をされましたけれども、では、お伺いしますが、この生活ごみは埋め戻したごみだと森友学園の側が当初主張していたわけですね。森友学園側が初めそういう主張をしていたというのは、昨年二月二十一日の時点ではどの範囲で共有されていたんですか。田村さんどまりですか。
○太田政府参考人 お答えを申し上げます。その時点でどこまでというのは、その当時にいて今もいる人間もいますので確認はできますけれども、はっきり言って、二月の二十一日というピンポイントでどこまでというのはなかなか難しいと正直に言って思います、それは。それで、田村当時の室長は、今委員がおっしゃったように、一年ぐらい前に籠池夫妻からそういう話を聞かされていますから、それは当然頭に残っていてしかるべきだということで申し上げているというところでございます。あと、委員の御質問の中で、生活ごみという言葉をどういうふうに捉えてどこまでと定義するかによって、本委員会で委員はそういう言葉を使っていらっしゃいますが、ほかの委員会で違う言葉を使われる方もいて、その生活ごみという言葉が定義をどうするかによっていろいろな議論が起きているなと思っているのと、それからもう一つ、埋め戻すという言葉をお使いになるんですが、埋め戻すという言葉、あるいは場内処分という言葉、あるいは三メートルより浅いところに地下埋設物が残っている。地下埋設物が残っているということは、それは最初の時点から、今委員は答弁でそれを隠そうとしていたとおっしゃるんですが、三メートルより浅い部分に残っているということは、程度問題は別として、それはさすがに当時の局長まで認識はあったことは間違いないと思います、それは最初のころからそういう答弁をしていますから。その上で、それが埋め戻すという状況なのか、それとも残っていることがわかっているという状況なのか、言葉の使い方によってちょっといろいろな議論になっちゃっているなというふうには、反省を込めて思っております。
○宮本(徹)委員 田村さんは知っていて、理財局どこまで伝わっていたかというのはわからないわけですけれども、少なくとも、ずっと埋め戻しのごみか新たなごみかということで議論になってきたわけですから、ここはちゃんと調べなきゃいけない点だと思うんですよね。それで、このごみが埋め戻しのごみだと森友学園側が主張していたということを財務省がちゃんと認識していたというのが書かれていたのが法律相談の文書ですけれども、これを会計検査院に提出したのは昨年の十一月二十一日ですよね。会計検査院の報告書が発表される前日だということです。ちなみに、財務省がこの法律相談の文書を発見したのはいつですか。
○太田政府参考人 お答えを申し上げます。九月に情報開示の請求があって、この対象は管財部だけではなくて近畿財務局全体であるという認識をして、近畿財務局全体で探索をしないといけないと思い、探索をしたのが十月下旬から十一月にかけてという状況でございます。その上で、最終的に検査院に報告できたのは、遅いという御批判はそのとおりだと思いますが、検査院の報告書が出ます十一月二十二日の前日の十一月二十一日だったということでございます。
○宮本(徹)委員 十月下旬から十一月に探索して、十一月二十一日に出したということですけれども、太田理財局長がその文書の存在を知ったのは十一月二十一より少し前だと思うんですが、いつですか。
○太田政府参考人 本当に少し前です。前日です。二十一日の前日です。
○宮本(徹)委員 十一月二十日だということですね。ところが、ちょっと議事録を見ていましたら、昨年十二月五日の太田理財局長の参議院財政金融委員会での答弁というのがあります。池田統括官に確認したところ、平成二十七年九月当時、打合せを行っていた記憶はあるが、場内処分を求めるような発言を行ったことはないという、二〇一五年九月四日の埋め戻しの指示がある打合せ記録についてそう述べられたんですね、太田理財局長は。かつての佐川さんが繰り返された答弁と同じことを繰り返されていたわけですよ。ただ、この法律相談の文書には、九月四日の打合せの話もしっかり書かれてあります。そこで何があったのかということについて、森友学園側の主張と、そして近畿財務局側の主張両方が書かれているわけですけれども、昨年十二月五日に太田理財局長が答弁された時点で、二〇一五年九月四日に、あの敷地のごみをどうするかという打合せが、二〇一五年九月四日に打合せとして行われたというのは当然知っていたわけですよね。昨年の十二月五日の答弁の時点で、二〇一五年九月四日の打合せがやられていたということについては、理財局長は認識はあったんですか、なかったんですか。
○太田政府参考人 お答えを申し上げます。昨年の十二月五日というときは、特別国会が開かれていて、予算委員会が衆参二日ずつあってという、そういう状況の後でございました。基本的に、会計検査院の報告が出て直後ということでございましたし、それから、音声データというものについて答弁をしなきゃいけないという状況になっておりましたので、そちらの方がまず私にとって第一義的だったということは事実でございます。ただ、委員のおっしゃるように、法律相談文書を、その時点においては、検査院にお出しする直前に私は知っているわけですから、それをお前は見ていなかったのかということについて、見ていないという弁解をするつもりはありません。見ていなくても、見る責任が私にあったことは事実ですから、そういう意味で、その責任を逃れるつもりはありません。ただ、その上で、十二月五日の答弁のときには、御質問いただいた方のポイントは、九月四日という日付ではなくて、要するに場内処分の指示をしたのか、埋め戻しの指示をしたのかということだったものですから、それについてはお答えをしていて、一方で、九月四日というところはメーンでないということでしたので、それはそれまでの答弁をそのままというか、九月初旬というふうにお答えをしたという記憶がございます。
○宮本(徹)委員 ちょっとわかりにくいんですけれども、先ほどの話では、見る責任はあったけれども、実際は、中心的な議論は音声データだったり会計検査院の報告だったから、見る責任はあったけれども、法律相談文書のそこの子細まで確認はされていなかったという理解でいいわけですか。
○太田政府参考人 正直に申し上げれば、そのときに全部見ていた自信はないから申し上げましたが、だけれども、それをもって弁解が許されると思っていませんから、見る責任がある以上、見ていなくても、見ている責任があるというつもりで私は御答弁申し上げています。
○宮本(徹)委員 太田局長は大変誠実な方だと野田さんからも聞いていますけれども、見る責任があったかどうかということじゃなくて、見ていたのかどうかということを私は素朴にお伺いしていますので。
○太田政府参考人 では、甘えて素朴にお答えを申し上げますが、国会での議論になる方が先にどうしてもだったので、その時点で詳細には見ていなかったと思います。そういう意味で、九月四日とそのときにちゃんと覚えていたのかと言われると自信がないので、そういうふうにお答えを申し上げています。
○宮本(徹)委員 つまり、太田局長も、そのときの答弁は見ずに、従来の佐川さんの答弁を踏襲されていたということなわけですけれども。しかし、埋め戻しのごみなのか、あるいはもっと深いところから出てきた新しいごみなのかというのは、ここは八億円の値引きの根拠にかかわる中心問題なんですよね。その中心問題で、学校法人側の主張は採用せずに、池田統括官の主張が正しいということで太田さんは答弁されたことになるわけですよね。そうなっちゃうんじゃないですか。だって、それは佐川さんの答弁をそのまま引かれたということなんですから。
○太田政府参考人 申しわけありません。今、委員の御質問で言葉の使い方がわかったので。委員がおっしゃっている埋め戻しという言葉は、三メートルより浅いところの部分のことを埋め戻しという言葉をお使いになっておられるのだと、今のでわかりました。三メートルより浅い部分でも、埋め戻しという言い方の人、埋め戻した部分と、もともと残っているのがそのままに放ってある部分とあるという言い方があるので、その埋め戻しという言葉は、一回掘ったものをもう一回わざわざ戻しているという意味で使われている場合が多いのですけれども、今のお話だと、要するに三メートルより浅いところにあったのか、それとも三メートルよりも深いところにあったのかがポイントなので、それを確認せずにというふうなお尋ねだったと思いますが。それは、法律相談文書になる手前の問題としても、やはり国会の議論で、昨年の特別国会でもやはり最大の大きい問題の一つは、御党でも何人かの先生が御質問いただいていましたが、やはり三メートルより浅いところにしかなかったのか、それとも三メートルより深いところ、それは三・八メートルだったり九・九メートルなわけですが、そこにあったのかというのは議論の最大のポイントでしたから、それは当然ですけれども、いろいろ確認もし、勉強した上で、もちろん過去の答弁も含めて勉強しましたけれども、の上で私は御答弁を申し上げているつもりであります。先ほどの、記憶のところが自信ないと申し上げたのは、九月四日という日付についてのところが私は自信がないので、ちょっとそう申し上げているというふうに御理解いただければと思います。
○宮本(徹)委員 ですけれども、三メートルより深いところか浅いところかという問題というのは、実は籠池さんが当初主張したとおりの国の指示による埋め戻しだったら、それは深いところのごみという話には絶対ならないわけですよ。ならないわけですよ。ですから、国の指示による埋め戻し、まあ、取り残しもあるかもわからないですよ。それは埋め戻し、取り残し、両方あるかもわからないですけれども。そこの籠池さんの主張は、出てきた音声データを聞けば、籠池さんはずっと一貫して同じことを言っているなと、口裏合わせを求められるところまでは、ずっと埋め戻しだということを言っているわけですから。業者の側との関係の発言からいっても、籠池さんのあの主張が音声データ上は正しいというふうに私ははっきりしているというふうに思いますが。しかし、このごみが、籠池さん、学園側が当初主張したとおり埋め戻したごみであるかどうかと、真っさらな状態での検証というのは、太田理財局長はやられていないんじゃないですか。先ほどのお話では、これまでの答弁だとかはいろいろ勉強させていただきましたというお話はありましたよ。それは、この間国会でずっと議論されていますから、それは政府内のいろんな苦しい論立て、音声データで次から次へと事実じゃないということを、そして会計検査院からも否定されるような苦しい論立てをこの一年間考えてきたわけですけれども。しかし、ここまで会計検査院の指摘もあり、音声データもあり、法律相談書もあり。こういうことになれば、一度真っさらな状態から、やはりこのごみはもともとあったごみだけだったんじゃないのかと、国が認識していたごみだけだったんじゃないのかと、それが、ただ埋め戻したものが出てきただけの話じゃないのかと。そうすれば、全て話はつじつまが合うわけですよ。それを深い新たなごみだと言うから、どこからもつじつまが合わない話になっているんじゃないですか。私は、真っさらな状態で、この森友学園側の主張、二〇一五年ですか、九月四日、国の指示によってごみを埋め戻されたんじゃないか、この疑い自体を調査すべきだと思いますよ。いかがですか。
○太田政府参考人 お答えを申し上げます。答弁も含めて勉強したと申し上げました。もちろん、答弁も勉強しましたけれども、それ以外も勉強したつもりです。今委員のおっしゃるように、それ以降、要するに、国側が、財務省なりあるいは国土交通省なりが主張している三・八メートルあるいは九・九メートルということも含めて、それ以外の材料として、今委員がおっしゃったように、検査院の報告は、要するに、三・八メートル、九・九メートルを立証できていない。一方で、三メートルより深いところにはなかったということも立証できていないという、基本的にはそういう報告だと思っています。御質問いただくときには、前段部分しか言われないんですが、後段部分もありの、実は、報告書だと思っています。その上で、音声データのお話で、今委員いろいろお話しをいただきましたけれども、籠池さんは、確かに、要するに、国が言って埋め戻したものだという主張をされているんですが、一方で、籠池さんは、じゃ、三メートル下だとかあるいは浅いところにしかないとか、そういう認識は恐らく、私が音声データを聞く限り、なくて、基本的に、国が全部取り切らなかったから、それが残っているやつがある。とにかく、とんでもないほどあるということを主張されていて、逆に言うと、三メートルより浅いところにしかないという主張は彼は一回も主張されていないと思います。それから、御党からお示しいただいた三月十六日とか三月三十日の音声データ。それは、工事業者の方あるいは森友側の弁護士の方のをお聞きしていると、多くは三メートルより浅いところだという主張をされているのはあります。一方で、三メートルまでのものでしかないということも立証できるかというと、それはそうではないと。要するに、三メートルより深いところにあるのがないとまでは言えないということも主張されていて、そこは、要するに、三メートルより浅いところしかないんだという主張をされているわけでもないというのが、音声データの、先方の主張をそのまま受けとめるとそういう主張だろうと思っています。そういう中で、我々としてというか、政府としては、もちろんいろいろ勉強しますし、これからもしないといけないと思っていますが、これまでの主張が決定的に違うというような材料があるとも正直に言って思えない状況だ、それなりに当時の現場、それは、大阪航空局も近畿財務局もそれなりの用意をして、資料を用意してやっているというふうに我々としても認識していますので、そういう中での議論ではないかというふうに思ってございます。
○宮本(徹)委員 今の答弁は、音声データを聞いてそんな答弁しちゃだめですよ。業者の方々も深いところにはないというふうに、国が深いところにあることにしようというのに対して一生懸命否定しているのに、実際に工事していた方々がそう言っていたわけですよ。今の答弁にはおよそ納得は国民みんなしない、引き続きこの問題を追及することを申し述べまして、時間になりましたので、質問を終わります。