旧優生保護法裁判 子を持つ権利 持てる社会に 被害者ら、全面解決訴え
旧優生保護法(1948~96年)によって不妊手術を強制された人たちが提起した裁判で、最高裁大法廷で弁論が開かれた29日。弁論後、国会内で開かれた集会で、多くの支援者に見守られながら、原告らが裁判に臨んだ想いを語りました。
帝王切開での第1子出産時に、同時に優生手術をさせられた大阪の原告、野村花子さん(仮名、70代)と野村太郎さん(同、80代)夫婦。第1子は生まれて間もなく亡くなりました。「これから続く障害を持つ若い夫婦が子どもをうみ、育て、幸せな家庭を築く権利の持てる社会にしたい」と手話で訴えました。
東京の原告、北三郎さん(81、仮名)は法廷で、「最後のとりでのたたかい。幸せを持って帰りたい」と訴えました。良い判決を得て、30年連れ添った亡き妻に「幸せを伝えたい」との想いだったと語ります。その上で、国からの謝罪と補償を得られる全面解決を盛り込んだ判決を望んでいると虚徴しました。
「当事者・原告らがどれだけ悲惨で過酷な暮らしに立たされてきたか、手術でどんなに大変な思いをしてきたか、裁判官に分かってもらいたかった」。そう振り返ったのは、優生保護法被害大阪弁護団長の辻川圭乃(たまの)弁護士です。「裁判官が顔を(原告側に)向けて弁論を聞いていた。障害のある人にとって良い第一歩になれば」
優生手術の被害者は2万5千人にのぼりますが、原告として立ち上がったのはわずか39人です。兵庫の原告、鈴木由美さん(68)は「被害を受けたたくさんの人たちに勇気を与えたい。障害の有無にかかわらず普通に暮らせる社会にしたい」とたたかう思いを語りました。
原告をはじめ傍聴に駆け付けた支援者らの多くに、さまざまな障害があります。原告・弁護団や支援団体の要請を受け、最高裁はスロープや要約筆記、手話通訳などを配置しました。東京弁護団長の関哉直人弁護士は「最高裁としておそらく初めてのことではないか」として評価。一方で、法廷内の手話通訳や要約筆記の手配や費用は原告側がせざるを得ないことは「遅れている事の象徴だ」と指摘し、判決時に向けさらなる配慮を求めると述べました。
集会には、日本共産党から倉林明子副委員長と宮本徹衆院議員が参加しました。
以上2024年5月30日付赤旗日刊紙より抜粋