Tさんの宮本徹応援スピーチ

障害者総合支援法のもと、生活訓練事業所を開いています。
私たちの元には、さまざまな理由で外に出て人や活動とつながる機会を持てなかった方が、来られています。精神障害者の方が主な対象ですが、過酷な仕事や家庭環境などから鬱になられたりPTSDとなられたり、また人の中に入ることに不安が強まったりするなど、本当に診断は多様で誰にとっても身近なものだと感じでいます。
実際に福祉の仕事をしていて感じるのは、法律は完璧なものじゃない、ということ。法律って国会を通って作られますよね。ひとが作ったものって、かならず不備があり、そこからはみ出る例外に溢れています。
それを、法律の中に沿うようにしか支援できなくて当たり前、ということが、実際の福祉の現場でどれだけ多いことか。
障害やさまざまな生きづらさにより実際に動けない、出て来られない人たちの問題は、それを聞く方法がないことから、取り残されてきた分野です。障害者総合支援法は今も通ってくる、出て来られることではじめて支援が始まる仕組みのままです。
でも今、苦しみながらそうした当事者が声をあげることで、少しずつそうした困難は可視化されてきています。
これは、法律が不十分であることを感じるほんの一例です。いまの法律だけでは、その困難に対処する方法がないこと、支援からひとがはみ出るのなんて当たり前で、それを一人ひとりの事例を丁寧に理解し分析していくことが、政治の仕事だと思っています。
宮本さんは、私たちの事業所にも何度も何度も足をはこんでくださいました。メモをたくさんとりながら、通われている一人ひとりと話し込んでいました。
もちろんすぐに変わることばかりではありません。
でも一人の声をきくこと、聴き切ること、一人の声の中に普遍的な課題をみつけること、そこから考えることを実践される姿を、いつも感じてきました。
不登校の状態にあった方、学校卒業後ずーっと引きこもってきた方、仕事が上手く続けられず自分を責めてひきこもり出かけられなくなった方、生きることってまっすぐいかないのがほんとは普通だって思います。でも、うまくいかなかったことを前に、そのうまく行くはずだった社会の細い道を歩めなかった、そこからこぼれ落ちてしまったと、自分を責めている方がほんとにたくさんいます。
家族から、はやく働かないと、と責め立てられていたり、また責めているかに思えたご家族自身も、ちゃんと子どもを育てられていないという自責の念に苦しめられていたり
そうした社会人らしさ、とか親らしさとか、らしさどおりにできない時、社会が助けず個人や家族だけで、そうした責任をおう、それが当たり前だと感じて自分や他者を責めるそんな人を作る社会のありかたって、誰にとっても生きづらいって、感じています。そしてこれが、ジェンダー平等が必要だとされる根幹だと思います。ジェンダー平等ってこうしたらしさの中で苦しむ、社会に生きる全員に関係していることだと思います。女らしさ、男らしさ、大人らしさ、社会人らしさ、子どもらしさ、という行動規範、そうしたものが作る苦しみだとも実感しています。そのことをちゃんと取り上げているのって、日本共産党だけだし宮本さんだと思っています。

私が出会ってきたひきこもりの、状態にある方の多くは、こうしたらしさ、の規範によって自分を責めたり周囲からも責められたりして疲れ果てている方々でもあります。十分大事にされて心休める必要がある、つまりケアをうける権利があるのに、それでも働かねば!と、福祉サービスの扉をたたくのではなくて、働ける場がないかと就労の相談に行くんです。そこから私たちの事業所につながる方が本当に多いんです。心が折れるまで無理を強いられるような生き方、疲れたらケアされていい、そんな当たり前のことがやっていいことだなんて思わず、どこまでも個人の力で頑張る、それが自立で社会人らしさ、として多くの人の中にあること。
こうした、変わらないと思うようなことに、たった一人の困難に手をさしのべて、ひざまづくようにして、そこから、社会を変えようと、そんな活動が、これまで宮本さんがされてきた仕事ではないでしょうか。そういう人がいなくなったらほんとうに困る。

国を大事にするって、そこにいる「人」を大事にすることのはず。それを、誰もがなりうるものとして、その苦しみを感じている人の側を向いて、活動されている宮本さんがいい!って、応援し続けたいと思います。