「部落差別解消法案」について

先日ラジオ番組に出演した際、「部落差別解消法案」について、リスナーから質問がありました。

 「部落差別解消法案」は、先の国会で議員提案され、継続審議になっています。先の国会では、全国人権連(2004年に全国部落解放運動連合会から発展した組織)などから「部落問題解決に逆行する」「法案は部落差別の永久化」だと、廃案を求める要請が法務委員らに対して行われました。

 被差別部落問題は、旧身分が差別理由として残ったものです。消防車が入れないなど、劣悪な生活環境だった旧同和地区には、33年間で16兆円以上かけた特別事業もあり、差別を背景とする格差はありません。地区内外の交流もすすんでいます。「部落差別」は国民融合の中で社会から薄れ消滅していく性格のものです。旧「部落」を問題にする人がいても、「それがどうしたの。関係ないよ」と説得できる自由な対話ができる社会になっています。

 同和事業の特別法は、役割を終え、2002年3月をもって失効しています。同和地区を取り巻く状況は大きく変化し、同和事業を続けると逆に住民間の「垣根」をつくり「逆差別」を生み、差別解消に有効ではないことは、当時の総務省も説明しています。

 時限立法ではなく、恒久法である「部落差別解消法案」について全国人権連の丹波議長の要請書には次のようにあります。

 「法案は「差別解消」をうたうことで、部落と部落外を永久に分け隔てて、部落問題という社会問題を永遠に残すことになります。法案は「差別の実態調査」を国や自治体に要請します。しかし、特別法の終結で「同和地区」「同和関係者」という行政上の概念は消滅しています。「調査」は差別が根深く存在しているとの誤った理解を国民に広げ、プライバシーを侵害し、特定の地域と住民を「部落」と示唆し、住民の平穏な社会生活を侵害します。まさに有害無益の国費の浪費になります。」

 すでに、行政上、「同和地区」はどこにもありません。こうした中で、行政が旧身分や旧同和地区を特定することは、それ自体が重大な人権侵害になります。

 この問題をめぐっては、「解同」(部落解放同盟)による特権・利権あさりや暴力的な「確認・糾弾」が大きな社会問題となってきました。1974年には八鹿高校の教職員60人に襲いかかり、29人が入院するという蛮行をおこなっています。今世紀に入っても、長野県の御代田町では、2006年当時の人言同和対策課長が自殺に追い込まれ、公務災害に認定されました。
 今回の法案は、「解同」による「確認・糾弾」行為を助長させる根拠として利用されかねません。

 同和事業の終結を宣言する自治体が広がっていますが、この法案ができれば、せっかくの終結がほごになり、「解同」の要求通りに復活するという混乱がおこる危険があります。

 日本共産党は、「国民融合論」の立場で、積極的に部落差別解消にとりくみ、とりわけ、この問題の解決の逆流となっている「解同」による特権・利権あさりや暴力的な「確認・糾弾」を許さないたたかいに力をつくしてきました。

 今回の法案は、これまでの部落差別解消に向けた、苦労を台無しにするばかりか、新たな人権侵害を引き起こし、差別を固定化・永久化することになります。5月25日の法務委員会の審議の中では、日本共産党の清水ただし議員がこの法案の問題を指摘したのに対して、「共産党のいうことには一理も二理もある」という声もでました。法案阻止へ、秋の臨時国会が正念場です。