『東京民報』戦争法案必ず廃案に 宮本徹衆院議員に聞く 

〇戦争法案の国会論戦をどう見ますか。

全体として世論が特別委員会に大きな影響を与えながら進んでいるのを実感しています。委員会の最初、日本共産党は志位和夫委員長が2日間続けて質問しました。翌日、ある与党の議員が「心に染みる質問だった」と話しかけてきました。その議員の心に染みたのかと思ったら、彼の支援者の心に染みちゃった。テレビで放送を見た支援者から、「なんでこんな法案をやっているんだ」という声がいっぱいかかってきたと言っていました。

〇延長国会までに、約50回にわたり委員会審議が止まったそうですね。

政府の側が、常識的なこと、基本的なことを聞かれても答えないことが多くあるわけです。例えば、今回の法案で自衛隊のリスクが増えるのか。自民党議員ですらリスクは増えると言っているのに、かたくなに政府は認めようとしませんでした。いま中谷元防衛相の答弁は、新たな任務に伴う新たなリスクは増えるというところまでは認めざるをえなくなっていますが、この「リスク論」だけでも、何度も委員会が止まりました。どう憲法を読んでも、集団的自衛権が行使できるとは読みようがないのに可能とするために、無理筋な論理を組み立てているので、しょっちゅう答弁不能に陥ってしまうのです。局面が大きく変わったのが、6月4日の憲法審査会での3人の憲法学者による今回の法案は違憲という表明でした。これにより政府は議論をすべて振り出しに戻されてしまった。憲法違反の道を進むのかという根本問題が問われています。

〇政府は、憲法学者の発言を受けた政府見解(6月9日)で、1959年の最高裁砂川判決を持ち出しました。

政府見解が出された翌日の委員会が私の番だったので、この問題を取り上げました。砂川判決は在日米軍の違憲性が問われた裁判で、集団的自衛権はまったく論じられていないし、政府が引用した部分は、判決を出すのに必要な論理の部分ではなく傍論です。横畠裕介法務局長官を追及すると、いずれも認めざるを得ませんでした。しかも、砂川判決は出た経緯も屈辱的です。地裁が駐留米軍は違憲だという判決を出した翌日に、アメリカ大使が当時の日本の外相に会い、高裁を飛ばして最高裁で判決を出すよう要請したことや、最高裁長官が米大使に会って審理の進め方を説明したことなどが明らかになっています。司法権の独立、国の主権が侵されたなかでの判決だと経緯を指摘したら、中谷防衛相は、「勉強させていただきます」と答えました。こんなことも知らずに、砂川判決を持ち出しているわけです。それでも、彼らは砂川判決しか、もうすがるものがないとしがみついています。こんなものにしかすがれないところに、憲法解釈変更の道理のなさがあらわれています。

〇政府は、「安全保障環境の根本的な変容」を、繰り返し今回の法案の理由にあげています。

私も委員会でいつ根本的変容が起きたのか、変容の基準は何かと問いただしましたが、政府はまともに答えられません。中谷氏が北朝鮮のミサイルとか、中国とのパワーバランスとか、いろいろあげたので、ソ連があったときのほうが日本には多くのミサイルが向けられていたのではないかと聞くと、(変容は)「人工衛星」や「インターネット」と答弁が返ってきて驚きました。集団的自衛権先にありきで、安全保障環境の変化の理由は後付けなのですね。政府が集団的自衛権行使の要件の一つとしている「存立危機自体」(日本と密接な関係にある他国が武力攻撃され、日本の存立が脅かされる明白な危険がある事態)についても、この間、世界であったか追及しましたが、岸田文雄外相は例をあげられませんでした。他国に対する武力攻撃を阻止する集団的自衛権を、あたかも自国の防衛のためのものであるかのように装うために、政府は存立危機事態という空想の概念を作り上げました。しかし、世界にも例がないし、説明もできない。彼らが解釈改憲で突き進もうとしたことの矛盾が、そういう形で表れているんだと思います。

〇延長国会が始まりました。

戦争法案の違憲性が鮮明になるなかでの延長国会です。延長国会に入る直前には、初めての参考人質疑があり、内閣法制局の2人の元長官が、そろって今回の法案は政府のこれまでの憲法解釈の論理から見ておかしいと指摘しました。これまでの政府がよって立つ論理を構築してきた方々が、でたらめぶりを徹底的に明らかにしたわけですから、今後の審議に大きな影響を与えていくでしょう。95日間もの延長は、なんとしても法案を通すという決意の表れでもありますが、そう簡単には進まないという自信のなさの表れでもあります。論戦でもさらに徹底して追い詰め、世論を広げ、廃案に追い込んでいきたい。各方面からこれだけ憲法違反と突き付けられている法案は、95日間を待たずにただちに廃案にするよう迫っていきます。

 

『東京民報』2015年7月5日号より抜粋